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Do you know Jean Bart ?

今年もCappelle開幕まであとわずかとなりました。

 

いつものことですが、プレーヤーの皆さんには期待しています。今回、毎日追いかけることはできなさそうですが、結果は常にチェックしています。いいゲームができたら見せてくださいね。

 

小島くんは今日のハンガリーでの重要な1戦で0.5P落とし、3つ目のIMノームに届かず。そしてCappelleのあとはすぐに帰国ということです。少なくともIMになってから帰国するものだと思っていたのですが、何か他の誘惑に負けたのでしょうか? Cappelleでノームを取れれば問題ないのですが...

 

さて、そんなCappelle前ですが、本日は日本プレーヤーの宿泊するダンケルクの英雄について、少し歴史をお勉強しましょう。

 

 

WRITTEN BY

Kanda Daigo

 

 

ジャン・バールJean Bart 1650-1695をご存知ですか?

 

カペル・ラ・グランド大会の宿泊施設がある北フランスのダンケルク市には、目抜き広場の中央にこの人の銅像が立っています。

 


 

観光案内所にも、彼の姿を描いたグッズが置いてありましたし、カーニバルにあわせたイラストもありました(2012229日撮影)。

 


 

が、いかんせん、どこにも説明がありません。地元では有名すぎて、説明の要を感じないのでしょう。仕方ないので、本屋さんに紹介してもらった伝記を一冊読みました(*)。それによると・・・

 

ジャン・バールは17世紀の後半に活躍した私掠船(しりゃくせん)の船長でした。

 

時は近世、嵐の時代。二大海運国のオランダとイギリスが大西洋の覇権を競い合い、三度にわたって戦火を交えました。イギリス=オランダ戦争(蘭英戦争)です(第一次1652年〜54年、第二次1665年〜67年、第三次1672年〜74年)。フランスは姻戚関係(王太子の嫁がイギリスの王族出身)から、イギリス側について参戦します。

 

当時、腕っ節の強い漁師たちは、戦争が始まると、命がけの「出稼ぎ」に行くのが習いでした。銃火器を積んだ改造船に乗り込み、軍の別動隊として海に乗り出し、敵の商船を襲って積み荷を奪う。それが「私掠」です。フランスの法律では、

1戦時に限り、また敵国の船舶に限り、私掠を認める。

2船舶を拿捕(だほ)したら積み荷を全て封印し、乗員と共にすみやかにフランス領の港に曳航(えいこう)すべし。

3乗員は捕虜と見なす。積み荷は、10%を国王に納め、残りは当該私掠船の船主と乗組員のものとする。

と定められていましたJacques Duquesne, pp.74-75.3が出稼ぎの報酬となります。

 

首尾よく成功すれば大きな儲けが期待されますが、とても危険な仕事です。海上で敵国の商船を見付けたら、注意深く、少しずつ距離を詰める(戦艦などが護衛についているかどうか、見極めながら)。ある程度まで近付いたら、砲火をかいくぐり(戦時には商船にも大砲が備わっていました)、素早く操船して敵の船首か船尾に回る(大砲は船腹の両側に付いているので、その射程圏の外から近付くため)。十分に接近したら敵船にカギを引っかけ、ロープを伝って乗り込み、護衛の兵士と白兵戦を繰り広げる。最後に敵船の船長を殺すか捕虜にして、勝利。正規軍さながらの海戦です。

 

港湾都市ダンケルクはこの時代、スペイン領、オランダ領、イギリス領と支配者が転々と変わった挙句、ようやく1662年にフランス領となりました。ジャン・バール12歳の時です。列強各国がこのように次々と触手を伸ばしたのも、港を領地にすれば交通の拠点を抑えられるだけでなく、周辺の漁師たち、戦時には頼もしい別動隊となる男たちを得るというメリットもあったからです。

 

ジャン・バールが船主から実力を認められ、船長に引き立てられたのは弱冠22歳の時でした。その1672年、第三次蘭英戦争がぼっ発すると、私掠船で大西洋に乗り出して神出鬼没、めざましい功績を挙げました。1674年にはオランダ海軍の軍艦「ネプチューン」号を拿捕し、その功績により「海軍大尉」の称号を与えられます。

 

こうしてジャン・バールは雇われ船長を振り出しに、立身出世の階段を駆け上がり、やがては私掠船団を率いる旗艦の艦長となります。1689年には、時のフランス国王ルイ14世から「貴族」の称号を授与されます。そして1695年、ダンケルク港に駐留するフランス海軍の艦隊司令官に任命されるまでになりましたが、惜しくもその年、病に倒れ、45年の波瀾の生涯を閉じました。

 

ジャン・バールが生きたこの時代は未だ「国」の意識が薄い時代でした。当時のダンケルクはフラマン語(現在はベルギー北部の公用語)の地域であり、ジャン・バールは生涯、フランス語をほとんど話せず、航海日誌等はすべて書記がフランス語に翻訳したとか。ですから彼はフランス人ではなく、「ダンケルク人」、まさに「郷土の英雄」なのです。

 

[*参考]Jacques Duquesne, Jean Bart, Seuil, 1992.

ちなみに、どこの国にもマニアはいるようで(笑)、ジャン・バールについて、これでもかっ、と言うくらいに情報を満載したブログも見つかりました。

<Jean BART>, http://jb.collection.free.fr/Accueil/Accueil.html


コメント
面白く読ませて戴きました、近代国家の概念が出来上がる前のお話なんですね。
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